海馬の解剖とリハビリテーション:記憶と空間認識の回復ガイド!
海馬は、なぜ記憶の最初の砦になるのか。
「なぜこの人は新しいことを覚えられないのに、昔のことは鮮明なのか」。その答えは海馬の解剖と回路の中にあります。本記事では解剖・血管支配・記憶機構から、アルツハイマー病・PTSDとの関わり、臨床応用まで体系的に整理します。
海馬の解剖・機能・臨床応用を動画で解説(STROKE LAB 臨床脳科学シリーズ)
臨床現場でこう出会う。
→ 前向性健忘と空間見当識障害が併存するパターンと判断しました。
「数字は逆唱できるのに、数分前の会話を覚えていない」。新人がまず戸惑うこの矛盾は、作業記憶(前頭前野主体)と長期記憶への符号化(海馬主体)が別の神経基盤を持つことで説明できます。
ご本人・ご家族の状況を丁寧にお伺いします
STROKE LABでは脳卒中専門のセラピストが、海馬を含む脳機能の解剖学的理解に基づいた評価と介入計画をご提案します。急性期から生活期まで一貫したサポートが可能です。
海馬の解剖学的位置と構造。
海馬(Hippocampus)は内側側頭葉の深部に位置し、「タツノオトシゴ」に似た湾曲した形状を持ちます。冠状断MRIでは側脳室下角の床を形成する弓状の構造として同定できます。アンモン角(CA1〜CA4)・歯状回・海馬台で構成される海馬形成体の総称です。
海馬の解剖学的位置。内側側頭葉深部、タツノオトシゴに似た湾曲した形状を持つ
隣接する扁桃体は感情処理・恐怖記憶の中心として海馬前部と協調します。嗅内皮質は海馬への主要入力源であり、アルツハイマー病の最早期病変部位でもあります。大脳辺縁系全体との関係を把握することで、病巣読解の精度が格段に上がります。
主要構造と臨床的重要性
| 構造名 | 機能 | 臨床的重要性 |
|---|---|---|
| アンモン角(CA1〜CA4) | 主要神経細胞層。CA3はパターン完成に関与 | CA1は虚血に最も脆弱(選択的脆弱性) |
| 歯状回 | 成人でも神経新生が起きうる部位 | 運動・環境エンリッチメントで神経新生促進 |
| 海馬台 | 海馬と嗅内皮質の出力ゲート | アルツハイマー病で早期障害 |
| 扁桃体・嗅内皮質 | 扁桃体:感情処理。嗅内皮質:主要入力源 | 嗅内皮質はAD最早期病変部位 |
血液供給と神経回路を、責任病巣の視点で読む。
海馬は主に後大脳動脈(PCA)の海馬枝(前方・中央・後方枝)に支配されます。PCA閉塞では急性健忘症候群、全般的低酸素ではCA1の選択的障害が起こります。
なお、前交通動脈瘤(ACoA)破裂後の健忘は、直接的な海馬梗塞より基底前脳(Meynert核)のコリン作動性経路障害が主因とされます(専門家合意)。
後大脳動脈(PCA)から分岐する海馬枝(前方枝・中央枝・後方枝)
三シナプス回路(Trisynaptic Circuit)
海馬の情報処理は、次の3つのシナプスを順に経由します。
入力:嗅内皮質から穿孔線維を通じた海馬への主要入力経路
回路:歯状回→CA3→CA1→嗅内皮質のフロー
出力:脳弓(Fornix)を通じた乳頭体・中隔核への出力経路
海馬前部・後部の機能分化
前部は感情記憶・連想記憶・ストレス反応(視床下部接続)を担い、扁桃体と密接に連携します。PTSD・うつ病では前部が優先的に障害されます。
後部は空間記憶と認知マップの形成を担います。ロンドンのタクシー運転手で後部海馬が大きいことが知られています(Maguire et al. 2000)。
海馬前部(感情・連想記憶)と後部(空間記憶・ナビゲーション)の機能分化
Maguire EA, et al. Proc Natl Acad Sci USA. 2000;97(8):4398-4403. ロンドンのタクシー運転手を対象としたMRI構造比較研究で、後部海馬体積が経験年数と正相関。空間記憶の習熟が後部海馬の構造的可塑性と関連することを示した古典的研究です。
「物忘れ」を、原因疾患でどう見分けるか。
記憶障害の背景にはアルツハイマー病・側頭葉てんかん・PTSD・脳卒中性海馬梗塞・統合失調症など複数の疾患が存在します。発症経過と画像所見の組み合わせが鑑別の出発点です。
海馬が関わる記憶障害の主な鑑別疾患
| 鑑別疾患 | 共通点 | 鑑別ポイント | 参考検査 |
|---|---|---|---|
| アルツハイマー病 | 近時記憶障害 | 数年単位で緩徐進行・両側対称性萎縮 | MRI海馬体積・MMSE/MoCA |
| 脳卒中性海馬梗塞 | 近時記憶障害 | 突然発症・片側性の梗塞巣 | DWI・T2強調MRI |
| 側頭葉てんかん(海馬硬化症) | 片側性記憶低下 | 複雑部分発作・デジャブ・発作後健忘 | 脳波・FLAIR高信号 |
| PTSD | 海馬体積縮小 | フラッシュバック・侵入的想起 | PCL-5など心理評価尺度 |
疾患ごとの海馬の関わり方
アルツハイマー病では、タウ蛋白の凝集が嗅内皮質→海馬に最早期から出現します(Braak stage I–II)。近時記憶障害が初発症状になりやすいのはこのためです。
PTSDでは慢性コルチゾール過剰が海馬の神経新生を抑制し、体積縮小をもたらします。前部海馬と扁桃体の過活動によってフラッシュバックが起こり、文脈処理障害(「今は安全だ」という認識が障害される)がその神経基盤です。
統合失調症では、安静時fMRI研究(Sandhu et al. 2019, Neuropsychopharmacology)で後部海馬のネットワークモジュール性の低下が示され、連想記憶の障害と妄想的連想の神経基盤を部分的に説明します。
統合失調症患者の安静時fMRI:後部海馬のネットワークモジュール性の低下(Sandhu et al. 2019)
記憶評価と画像読解、何を見るか。
記憶の種類ごとに担う脳領域が異なります。この流れを念頭に置いてから評価を設計します。
作業記憶:前頭前野(PFC)が中心となり頭頂葉と連携
長期記憶の固定化:海馬→大脳皮質への段階的転送
MRIでの海馬同定:3ステップ
冠状断MRI:内側側頭葉・側脳室下角・扁桃体をランドマークに同定
海馬のS字型湾曲と、隣接する側脳室下角・海馬傍回
水平断(軸位断):海馬は楕円形に見え、前部→後部の形態変化を追える
同定のランドマーク:扁桃体・海馬傍回・側脳室
MMSEで記憶に関わる項目
| 項目 | 採点 | 海馬機能との関係 |
|---|---|---|
| 見当識(時間・場所) | 各1点、計10点 | 海馬後部障害で場所見当識が低下しやすい |
| 即時記憶(3単語) | 3点 | 作業記憶を反映し、海馬機能とは独立しやすい |
| 遅延再生(3単語) | 3点 | 海馬性記憶障害を最も反映しやすい項目 |
※ カットオフ:30点満点中、合計23点以下で認知機能低下を疑う。
Folstein MF, et al. J Psychiatr Res. 1975;12(3):189-198. 検者間信頼性は概ね良好(κ≈0.8前後)。MCID(臨床的最小変化量)の明確なコンセンサスはなく、1〜3点程度の変化が臨床的に意味を持つとする報告が一般的(専門家合意)。教育歴による得点の影響を考慮する必要があります。
介入は、何を・どれだけ行うのか。
海馬障害では「海馬に頼らない記憶システム(手続き記憶・基底核・小脳)を積極的に活用する」発想が介入の基本軸です。
海馬に頼らない記憶システムを活かす4つの介入
認知リハビリテーション複数RCT
目安:1回20〜30分・週3〜5回
エラーレスラーニング(誤りなし学習)と間隔反復法(Spaced Retrieval)を組み合わせる。写真の詳細想起・名前と顔の一致課題を段階的に実施。
VR空間認知トレーニング単独RCT
目安:週2回・1回20分程度から開始
仮想ショッピングモール等での空間ナビゲーション課題により後部海馬を刺激。Hsieh et al. Front Aging Neurosci. 2021で、MCI高齢者における空間認知・エピソード記憶の有意な改善を報告。
一貫した毎日のルーチン専門家合意
目安:最低2〜4週間は手順を変更しない
同一の順序・時間でのADL遂行を毎日反復し、基底核・小脳依存の手続き記憶システムへの移行を促す。視覚的スケジュール表を併用する。
視覚的手がかり(外部記憶補助)専門家合意
目安:導入後1〜2週間は毎セッションで定着を確認
写真付きネームプレート・服薬カレンダー・物品の定位置マーキングなどを環境内に常設し、海馬への依存を減らす。

海馬をはじめとする脳機能の解剖学的理解に基づき、根拠ある介入計画を立案します。一人ひとりの病巣・症状に合わせたオーダーメイドのリハビリをご提供します。
多職種連携と環境調整、誰が何を担うか。
記憶障害のある患者への一貫した対応は、チーム全体で共有する必要があります。申し送りと記録の徹底が、対応のブレを防ぐ最大の武器です。
| 職種 | 評価項目 | 主な介入内容 | 連携ポイント |
|---|---|---|---|
| PT | 歩行時の見当識・転倒リスク | 病棟内動線の反復歩行練習 | OTの視覚的手がかりと統一した動線で練習 |
| OT | ADL遂行中の記憶依存度 | 環境調整・視覚的手がかりの設計 | 看護師と病棟内サインを統一 |
| ST | 言語性記憶・コミュニケーション | 間隔反復法・エラーレスラーニング | 家族への声かけ方法の指導と共有 |
| 看護師 | 日中の見当識変動・行動観察 | 一貫した声かけ・ルーチンの維持 | リハ職と情報を24時間共有 |
| 医師 | 画像所見・病態診断 | 原疾患の診断・薬物治療 | 病巣情報をリハチームへ共有 |
| MSW | 退院後の生活環境・支援体制 | 在宅サービス調整・家族指導 | OTの環境調整方針を在宅へ橋渡し |
つまずきポイントと臨床判断のコツ。
知識があっても、臨床現場で見落としやすい落とし穴が3つあります。
患者本人には説明の記憶がない。毎回初対面のつもりで、同じ言葉・同じ順序で説明する。カルテと申し送りへの詳細記録が対応のブレを防ぐ。
海馬性記憶障害では誤反応も無自覚に強化されやすい。誤りを未然に防ぐエラーレスラーニングを優先する(海馬非依存の記憶を活用)。
感情的文脈の障害(前部)か空間見当識の障害(後部)かで優先介入が異なる。MRI病巣評価を先に行ってから介入を設計する。
「病棟で迷子になる患者には、感情に訴えるより先に、視覚的な動線サインを増やすほうが効きます。後部海馬の問題だからです。」
「逆に感情の波が激しい患者には、安心できる文脈を一貫して提供することが優先です。」
予後をどう見立て、ゴールをどう設定するか。
脳卒中による海馬性記憶障害の回復は、病変の大きさ・部位・年齢・リハビリ強度によって大きく異なります。発症後3〜6か月が最も回復が速い時期とされ(専門家合意)、この期間に適切な強度の介入を集中させることが重要です。
| 段階 | 目標の例 | 期間の目安 |
|---|---|---|
| 短期 | 病棟内動線の習得 | 2週間 |
| 中期 | 複数項目の遂行 | 1か月 |
| 長期 | 生活期でのADL確立 | 退院後3か月 |
各段階でMMSE等の評価尺度の変化を記録します。海馬機能そのものの完全回復が難しくても、手続き記憶・代償手段の活用により機能的自立は十分に期待できます。
よくある質問。
海馬が損傷すると必ず記憶障害が起きますか?
必ずしもすべての記憶が障害されるわけではありません。海馬が主に関与するのは宣言的記憶(エピソード・意味記憶)の符号化です。手続き記憶やプライミングは基底核・小脳・大脳皮質が担うため、海馬が重度に障害されても残存することがあります。H.M.の症例でも手続き記憶の学習は可能でした。
脳卒中後の記憶障害はどれくらい回復しますか?
病変の大きさ・部位・年齢・リハビリ強度により異なりますが、発症後3〜6か月が最も回復の速い時期とされます。有酸素運動・認知的刺激・良質な睡眠が神経可塑性を高めることが動物実験で示されており、臨床でも積極的に取り入れるべき要素です。
アルツハイマー病と脳卒中後の記憶障害はどう見分けますか?
発症経過・画像所見・記憶障害パターンで鑑別します。アルツハイマー病は緩徐進行・両側対称性の海馬萎縮、脳卒中は突然発症・梗塞巣のDWI高信号が特徴です。血管性認知症は段階的悪化を示すことが多く、神経心理検査と画像所見を組み合わせて判断します。
海馬の神経新生を促進するにはどうすればよいですか?
ヒト成人の海馬神経新生についてはSorrells(2018)とBoldrini(2018)で見解が分かれ、現在も議論が続いています。動物実験では有酸素運動・環境エンリッチメントが促進因子として確立されており、臨床では毎日20〜30分の有酸素運動の導入が推奨されます。
海馬前部と後部で機能はどう違いますか?
前部は感情記憶・連想記憶・ストレス反応の調節を担い扁桃体と密接に連携します。後部は空間記憶とナビゲーション、詳細な文脈処理を担います。病変の局在評価は介入の優先順位決定に直結します。
若年脳卒中後の記憶障害でも復職・復学は可能ですか?
多くの場合可能です。重要なのは欠損した記憶機能を代償するシステムの構築で、リマインダーアプリや視覚的スケジュール管理、職場・学校への合理的配慮の申請、定期的な神経心理学的評価の組み合わせが有効です。
STROKE LABのプログラム。
STROKE LABは脳卒中専門の自費リハビリ施設として、脳の機能解剖に基づく評価と、エビデンスを踏まえた個別介入計画をご提供しています。記憶障害を含む高次脳機能障害に対しても、ご本人とご家族に寄り添いながら生活期までサポートします。

STROKE LABでのリハビリの実際の様子
「左PCA梗塞後の患者さんで、毎回課題説明を忘れてしまう方を担当しました。当初は口頭説明を毎回繰り返すだけでしたが、写真付きの手順カードを導入し、エラーレスラーニングで誤反応を未然に防ぐ形に変更したところ、2週間で病棟内の3ルートを自力で歩けるようになりました。説明の仕方より環境設計を変えることの方が効果的だと実感した症例です。」— 作業療法士・経験8年・高次脳機能障害領域
「PTSD合併の患者さんで、急な不安発作が頻発していました。後部海馬より前部海馬の機能低下が疑われたため、空間訓練よりも安心できる文脈(同じ時間・同じ声かけ)を徹底したところ、不安発作の頻度が明らかに減少しました。前部・後部の機能分化を意識することの臨床的意義を学んだ症例です。」— 言語聴覚士・経験6年・高次脳機能障害領域
諦めないでください。

海馬を含む脳の機能解剖を理解することは、目の前の患者さんに「なぜこの症状が起きているのか」を説明できる力につながります。
記憶障害は完全に元通りにはならないこともありますが、「困らない仕組み」を一緒に作ることはできます。
STROKE LABは、ご本人・ご家族・セラピストが同じ目線で取り組めるリハビリの場でありたいと考えています。お気軽にご相談ください。
参考文献。

1981 :長崎市生まれ 2003 :国家資格取得後(作業療法士)、高知県の近森リハビリテーション病院 入職 2005 :順天堂大学医学部附属順天堂医院 入職 2015 :約10年間勤務した順天堂医院を退職 2015 :都内文京区に自費リハビリ施設 ニューロリハビリ研究所「STROKE LAB」設立 脳卒中/脳梗塞、パーキンソン病などの神経疾患の方々のリハビリをサポート 2017: YouTube 「STROKE LAB公式チャンネル」「脳リハ.com」開設 2022~:株式会社STROKE LAB代表取締役に就任 【著書,翻訳書】 近代ボバース概念:ガイアブックス (2011) エビデンスに基づく脳卒中後の上肢と手のリハビリテーション:ガイアブックス (2014) エビデンスに基づく高齢者の作業療法:ガイアブックス (2014) 新 近代ボバース概念:ガイアブックス (2017) 脳卒中の動作分析:医学書院 (2018) 脳卒中の機能回復:医学書院 (2023) 脳の機能解剖とリハビリテーション:医学書院 (2024) パーキンソン病の機能促進:医学書院 (2025)